戊辰戦争研究会の掲示板



[3035] ザ・戊辰研マガジン 第4号 Name:山本覚馬 2018/02/07(水) 00:19 
ザ・戊辰研マガジン 第4号を発刊しました。
記者も記事も増えました。どうぞご覧ください。

https://boshinken.publishers.fm/



[3034] 八尾の「風の盆」 Name:村上久三郎 2018/02/05(月) 19:13 
「風の盆」は一度は見たほうが良いです。他の「盆おどり」と品格が全く違い、上品で美しいです。涙を流す人も多いようです。

 9月1日ー3日、夜通し、踊ります。前夜祭は8月下旬にやります。問題は、宿の予約です。街の宿は(多分、観光会社がすでに予約しており)全くありません。

 富山駅のビジネスホテルにとまり、そこから、20分程度の「八尾駅」へ行く方法があります。「八尾駅」から八尾町へは徒歩で、(最長)20分くらいです。

 ただ、最終電車の時刻があるため、夜中の踊りを見ることができません。とにかく人が多いです。私は山手の方に予約しました。

 紙や絹の布で花を作る人もいますが、花の「格調」は繭から作った花がバツグンです。「繭の花」も「風の盆」も格調があり、ほかのものは見られなくなります。


[3033] 養蚕の現状 Name:村上久三郎 2018/02/05(月) 17:55 
 事務局殿ありがとうございます。

 故郷の「桧原(ひばら)」という集落では、戦後、養蚕が盛んでしたが、昭和50年ころから衰退し始めました。集落の養蚕家・奥さん方が集まり、相談し、「繭の花」を思いつきました。

 現在は、「繭の花」が盛んになりました。桧原では「販売用」として繭の花を作っています。養蚕と繭の花作りを同時にしているのは、日本で桧原だけです。
 私は本のようにまとめるため、多くの繭の花の写真を撮らせて戴きましたが、値段は、あまり、記憶にないです。ただ、最大級のコチョウランは、一本、1万5000円くらいのように記憶がありますが、定かでありません。


 皆さまに購入されたい人がいましたら、帰省した時、話をします。いろいろの花を合わせて20本もあると、自宅が「私設博物館」のようになります。皆様の応援のほどよろしくお願いします。

 春の養蚕は6月5日ころからやり、約1か月で繭になります。卵は福島県伊達地方から買います。もし、皆さま、もしくは、お子供さまが、お手伝いをしたようでしたら、故郷の人たちに話します。大きい民家もあるので、何とかなるように思います。桧原では「桧原の全部が私の親戚」と言われています。故郷にステーして、繭の花作りを学ぶ方法もあります。自転車道完備。

 酒井登巳子先生も素晴らしい「繭の花」を作りますが、販売用ではなく展示会用と思います。酒井先生は養蚕をしていないと思います。


 故郷の「繭の花」も八尾の「風の盆」もともに、養蚕女性が考案したものです。


[3032] 寒中、お見舞い申し上げます。 Name:事務局 2018/02/05(月) 17:27 
全国的に厳しい寒さです。
今週あたりが寒さの底でしょうか。
九州からは梅の開花の知らせも届きました。

画像は、村上殿より、
故郷の高齢の 婦人たちグループが作ったシルクフラワーです(販売用)。いつでも良いですが機会ありましたら、会員の皆様へ紹介して下さい、とのことで
送って頂けました。


[3031] 幻想の座くり文化 Name:村上久三郎 2018/02/04(日) 22:59 
 座くりを作り、動かしていると、「美しい幻想の世界」に浸ります。「座くり」は現代は、殆ど知られていませんが、「絹糸によりをかけながら糸巻きにまく」座くりの作製は多分、ものづくりでは、最難関の一つと思います。
 「風の盆」では、胡弓、三味線、民謡、踊りがセットになっていますが、座くりを動かしていると、それぞれの意味がよく分かります。

 座くりでは、絹糸を糸巻きに均一に巻くため、一本の「棒」があり、これを左右に振ることで均一になります。「風の盆」の女性の踊りで、両手の人差し指を、交互に左右に動かす動作がありますが、これは座くりの「棒」を形容しているように思います。糸巻きに連続して、しっかり巻くのが「胡弓の音色」のように思います。胡弓では、「駒」から相当外れたところで、上げ弓・下げ弓で奏でますので、音が柔らかくなり、哀愁を帯びた音になります。これも八尾ならではの文化です。


[3030] 浅草新年会集会 Name:伊達藤五郎 2018/01/30(火) 14:10 
1月28日は新年会の日ですがその前に近場を巡行しました。最初は隅田川の土手(隅田公園)を歩きましたが、久しぶりにメンバーに会うのでおしゃべりに夢中です。
 でも対岸のサッポロビール・墨田区役所・スカイツリーが並ぶ圧巻の風景にやっと足が止まりました。情報ではアササヒビールの建物は建て替えられるそうです、そんな話に夢中になりました。
 最初の「今戸神社」は縁結びの神様なので女性の参拝者が一杯でした、しかも行儀よく並んで一人ずつ参拝するのです、お祈りする女性の真剣さに熱くなりました。しかも研究会の男性軍も並んで参拝するではないですか、…何を期待してるんだっ・・と言いたかったです。
 次の「待乳山聖展天」は浅草寺の支院ですので外すわけにはいきません、別名大根神社といいd大根が300円ほどで売っていました。
 浅草に向かい途中からは普通にスカイツリーが眺められました。



[3029] 「座くり」について Name:村上久三郎 2018/01/29(月) 18:56 
シリーズで大分書きましたが、私は養蚕文化をまとめている最中であるため、これらを意見覧に書いている次第です。
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 座くりは富岡製糸場で見られますが、個人的に作製し廻しているのは、多分、日本で私だけと思います。写真がないと分かりにくいですが、座くりには2種類あります。
一つは前橋で盛んに作られたもので、歯車が3個もあります。もう一つは、新潟など北日本で使用されたもので、歯車はありません。操作のしやすさや丈夫さ等から、北日本のほうがすぐれているように思います。
 数個の繭から木枠に、絹糸を巻くわけですが、絹糸は大体1000メートルの長さになります。これは女性の仕事です。そのため、養蚕農家では女性を大事にする風土がありました。
 絹糸は相当の副業になり、私の母や祖母も廻していました。大正時代の領収書もあります。私は、数台の座くりをもっていますが、今年は染めた繭から絹糸をつくり、よりをかけるつもりです。
 絹糸から絹織物を織るわけですが、これは、別の専門家がやります。多分、最も難しいのが、伊勢神宮の天照大神に奉納するものです。西陣織も有名です。和宮がおみやげに欲しがった絹織物ですね。


[3028] 八尾の「風の盆」踊り Name:村上久三郎 2018/01/27(土) 13:02 
 外国に誇れる日本最高峰の文化の一つが八尾の「風の盆」であろう。
もともと、これは養蚕作業娘から出たもので、桑の葉とり、(繭から絹糸を作る)座くり、が原点であるが、現代は、座くりを知らない人が多い。座くりは、座って、右手で木枠を廻し、湯につけた繭から絹糸をつくり、木枠に巻く器機である。(私は、座くりを作り、絹糸を作っているが、男性としては、多分、日本にひとりと思う。3019に記載した私設博物館でやっている。)

 養蚕以外に、種まき、稲刈り、ワラ縛り、ワラを投げる歌謡と踊りもある。歌謡やハヤシは座くりの回転速度が基本であると思われる。「うたわれよう わしゃ はやすー」という「ハヤシ」があるが、このリズムは座くりの手回し回転にあう。

 「正調おわら」の最後に「春風吹こうが 秋風吹こうが 
あんたの恋風 身について ならない」がある。これは恋の歌ではない。
江戸時代から、明治期にかけて、嫁入り前の乙女は「稼ぎどころ」で、「一家の大切な人」だったのである。明治期には、長野などの製糸工場へ出稼ぎに行って、沢山
稼いで帰る。「そいうした乙女を嫁さんに」と思うのは人情である。

 笠をかぶって踊っているのは10代の女性である。観光客には「傘の下から、踊っている女性の写真を撮る人がいるが、これは止めた方が良い。フラッシュで目がやられるからだ。なお、スゲの笠の内から外が良く見える。


[3027] 八尾乙女の養蚕文化踊りー日本の最高峰文化 Name:村上久三郎 2018/01/26(金) 18:52 
 富山の八尾(やつお)は養蚕の里。寛永時代に、乙女たちが、座くりを廻しながら、ある歌を口ずさんでいた。やがて元禄15年ころ、街で「ながし」を始めた。

 明治7-8年ころ、頭の狂った「めちゃくちゃ思想の」明治元勲が、街での流しを禁止した。八尾乙女たちの文化は低調になるが、大正10年ころ、江尻半兵衛の妻(振付師)が、振付を考案し、ほぼ確立。昭和4年ころ街で流しを再開。

これが現代の大規模「おわら風の盆」の源泉で、人の心を引き付ける。町あげての盆踊りとなった。その美しさ、優雅さ、上品さは、おそらく日本一。胡弓、歌、踊りがそろっている。毎年9月1日ー3日に夜通し行われる。「♪ キタサノサー ドコへサノサーサ」で始まる。

 八尾以外で踊ることは禁止。古来の養蚕文化を分からず、踊られては、「古来の伝統文化が壊れる」からだ。

 「これぞ日本の乙女たちが産んだ日本最高(多分)の文化であろう」と私は思う。ただ、超人気のため、莫大な観光客が集まり、見るのが苦労する。


[3024] IV (4泊目) 外国に誇れる文化観光コース Name:村上久三郎 2018/01/24(水) 14:43 
この夜も、みどりの里に宿泊。

翌日

AM 戦後のカマドで料理する家、ほおずきつくり婦人、炭焼き小屋を見学。時間があれば、某家の庭の花、花、花を見る。さらに余裕があれば、寺で「ご詠歌」を詠むご婦人たちを拝見。これは珍しいが、全員で、5万円はかかるようだ。

PM 風景探訪に入る。石油王・中野寛一が作った池を見る。戦前、「村人のために」が寛一の思想。当時、「自分を肥やす財閥つくり」が蔓延り、戦争へ突入。米国気質は「こうしたガラクタどもをゴミ箱へ」と、財閥解体は、終戦の10年前から計画されていた。

  帰り(多分日本一広い木造大工の作業場、小さい漆ぬりの桶作り名人の工房)

夜は、みどりの里に宿泊。以上で終わり。

 見学料は全部合わせて、10000〜15000円と思う。見学料は文化保存に充当。現状では、タクシー利用がよさそうだ。相乗りすれば比較的安い。タクシー会社と相談する予定。

 この種の観光は、初期の段階のようだ。外国人に対しては、英語で対応。
「日本が生き抜く」道の一つが「観光」。

 例えば、二泊コースで2、3人の観光客の実績を作ると、より多くの村人に伝えることができます。さらに、市にも伝えたいと思います。長期スティを希望する人には
個人個人に説明します。

皆さまのご支援を賜りたく。


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