戊辰戦争研究会の掲示板



[3126] ザ・戊辰研マガジン8号 Name:山本覚馬 2018/06/07(木) 11:04 
日本各地で梅雨入りしました。
今日も雨で外には出れないし、犬の散歩も出来ない。さて、今日は何をしようか?
そんな時は、家にこもって本を読むに限ります。
そこで朗報!
ザ・戊辰研マガジン8号、本日発刊。どうぞご覧下さい。



[3125] I  米国での不思議な思いで Name:村上久三郎 2018/06/06(水) 21:45 
 ちょうど日本のお盆ころ、私は米国で、ある大学の芝生に横になっていた。うとうと眠くなってきた。現実か夢か分からないが、私の後ろから、若い女性が歩いて行った。
赤い帽子をかぶっていた。年は17ー18歳のようだ。「あれ。変だなぁ」と思っていたら、急に姿が消えた。「あれはなんだ。もしかすると亡霊・・・」と思い、後ろを振り向くと、小さい石碑があった。
 その石碑に何かが書かれてある。1970年代、その近くで女性が亡くなったらしい。17歳である。石碑から「その女性は原生が好きで、特にHenry David Thoreau (ソーロー)の思想が好きだった」ようだ。 典型的な白人気質であるが、できれば、この女性の生家を尋ね親族から「いろいろ」聞きたいが、まだ、できていない。夏近くなると、あの日のことを思い出す。  
 この思い出は米国であるが、米国白人気質は日本の在郷気質と似たところがある。Thoreau思想は特に女性に強いようだ。


[3124] [ 村上在郷気質ー奥三面集落 Name:村上久三郎 2018/06/05(火) 22:03 
「奥三面(おくみおもて)」という集落は山間部にありましたが、昭和30年代に始まったダム建設により、現在、湖底に眠っています。戦後、この集落の人々が私の生家に泊りがけで参りました。
 その後、奥三面の方々は、村上駅の近くに移動されました。昔の集落の方々と私の祖父、父、兄とはずいぶん交流がありました。
 最近、私は村上駅の近くの「奥三面」へ行き、あるお婆さんと会い、本当の心情を聞くことができました。「昔の集落から出たくなかった」という話でした。ただ、当時の県政にはどいうすることもできなかったようです。このことは、本にも書いてあります。
 ダムはいつかは壊れるときがくるわけです。ダム建設時から、村人が恐れたのが「ダムの決壊」です。作ったものは、いつか必ず壊すときが来るのです。


[3123] VII 村上在郷気質ー北朝鮮問題 Name:村上久三郎 2018/06/05(火) 19:42 
 北朝鮮が話題になっていますね。私は政治家ではないが、「相互に利する」ことを提言するのもよさそうです。「相互に利する事」には、いろいろありますが、特に奈良時代、朝鮮と日本には密な関係がありました。「観光になるような歴史的事実」は「日本ならでは」の提案であり、米国などにはできないです。政策によって、世界がこれに興味を持つようにすれば、両国に相当の収益が見込めそうです。飛鳥の古墳壁画に着物を着た女性が描かれていますが、あの衣装は朝鮮から来たものだそうです。
 私は故郷で、インバウンド観光につながることを調べ、提案していますが、これらは、他の人たちに利することです。


[3122] VI 村上在郷気質ー会津との接点 Name:村上久三郎 2018/06/04(月) 23:20 
 私の祖父は明治20年ころ、山奥の「奥三面(おくみおもて)」へ行きましたが、帰りに道に迷いました。どうにかして、出たところが会津でした。会津で「和算」をやっている方が世話して下さり、和算を勉強してきました。和算の先生は相当の知識人と思います。
 祖父の妻の「いとこ」に当たる人が宮大工で、宮大工は会津に長期出稼ぎに行きました。会津に「やま神様」があるそうで、そこの分祀と思われる「やま神様」を私の生家の近くに建てました。小さい神社ですが。
 「やま神様」は「やま餅」が好きらしいです。「やま餅」は、もち米で炊いたご飯を握りつぶし、あらかじめクルミをすって煮た鍋に入れます。私も作りますが、栄養がたっぷりありそうです。
 上記の宮大工に娘さんがおり、この娘の子供が本を著作しています。宮大工と祖父の妻(私の祖母)はルーツをたどると、同じ「家」にたどりつきます。
私は帰省すると、仏壇の近くに寝ますが、今までのところ、残念ながら、先祖の霊は現れていません。できれば祖母と話したいのだが。


[3121] V 村上在郷気質ー首を斬られた神様 Name:村上久三郎 2018/06/03(日) 17:31 
 私の故郷の鮭は、平安の昔から皇室の所有だった。ところが、鮭泥棒が出没したので、取り締まりが京都からやってきた。身分の非常に高い人である。この人は神とあがめられ、近くの集落に神社がある。私は昨年行ってみた。確かにそうです。
 ところが、この人が「取り締まった川」がある集落へ、昨年、私は行ってみた。この取り締まりは、だんだん悪くなり、ついに集落民に首を斬られたらしい。頭が川の渦に流れるが、笑っていたそう。気味が悪い。
 という話が故郷に口承されているが、私は「農民が人の首を斬れるのか」と、不思議に思っていた。近くの「博学者」が私に教えてくれた。「いやいや、首を斬ったのは農民ではないよ」とのこと。「秋田から武将がやってきて首をはねたのだ」ということだった。
 一方では「神社に祀られている人」が、一方では「ろくでもない奴」と思われている。鮭を欲しさに、よそ者が互いに争っているだけのようだが、故郷には、訳の分からない話がある。
 


[3120] IV 村上在郷気質ー戦いを好まず Name:村上久三郎 2018/06/02(土) 22:00 
 村上には「戦いを好まない」風土がある。こうした風土は軍人に出る。軍人は銃を持つが、故郷には、こうした行為を嫌う風土があるようだ。私は幼少の時、家での「勝ち負け」の勝負事は、「御法度」だった。こうした風土は家族によって多少の違いはあるだろうが。
 私は旧軍兵士多くの人と話す機会があった。なかには、「村上在郷軍人は戦うことを嫌いだった」と言う人もいた。「この話は本当だな」と思った。
 故郷農村の歴史は古いが「戦いがあった」という話は口承として伝わっていない。
ただ「怖かったのは蒙古襲来である」とう口承がある。村は大和国時代頃に開拓されたようだが、蝦夷と大きな戦いがあった口承はない。村の神様は「こしょうさま」であるが、郷土史家によると、蝦夷の人たちと仲良く暮らしたらしい。
 


[3119] III 村上在郷気質ー切腹された村上藩士 Name:村上久三郎 2018/06/01(金) 21:44 
 戊辰戦争中、ある村上藩士が私の出身集落の隣の集落に参り、お寺の参道の入り口で切腹されました。そこに墓碑がありました。確か「依田」という苗字だったと記憶しています。昨年、その参道へ行ってみると、墓碑がありません。「どうしたのかな」と思っていたら、和尚さんが出てこられ聞きました。
 「藩士のご子孫が、ここに墓碑があるのは可愛そうだ、ということで、墓碑をもって行かれました」とのこと。墓碑がどこへ行ったか分かりませんが、もしかすると村上城下町ではないかと思います。
 依田藩士のルーツは分かりませんが、長野県や静岡県が考えられます。
上記の藩士と直接関係ないと思いますが、静岡の依田から数名の工女が富岡製糸場へ行かれたようです。その後、依田に製糸工場が建てられました。依田工女の影響はあると思いますので、私は依田工女に関する絵を2枚描きました。
 このようなわけで、私は「依田」に、ある種の未練があるわけです。


[3118] II 村上在郷気質ーかまいたち Name:村上久三郎 2018/05/31(木) 20:31 
 村上在郷だけではなく、新潟県には「かまいたち」という「妖怪」がいるらしい。この正体はいまだにわからない。誰も見たことがない。体の一部に、ある種の衝撃を与えると、深い傷がつく。私はこの傷を見たことがあるが、血は流れず痛くないそうだ。「ざっくりと切れる」というよりは「ぱっくりと深い傷ができるが、血が流れない」のである。私はこれを科学的に考えているが、いまだに明確でない。歴代の村人はこれを「かまいたちの仕業である」と考えてきた。架空の「妖怪」である。
 


[3117] I 村上在郷気質ー梨 Name:村上久三郎 2018/05/30(水) 22:52 
 私の母の生家の近くに、梨の大きい木がある。樹齢、400年から500年と言われている。この梨の木は、ある家の所有であるが、近所の子供や奥さんたちは梨を拾うて食べた。私も子供のころ食べた。現代の梨と違い、大きさは直径2p位で小さいが独特の味がする。
 明治初頭、その木を面倒みていた方が「九郎」さんで、足の速い人だった。やがて徴兵制になり、九郎さんは仙台師団に入隊させられた。明治29年頃と思われる。師団長は長州や薩摩の方である。九郎さんは「ばかばかしい」と思ったようで、脱走して仙台から走って故郷に逃げてきた。逃げて村に来たところを警官に見つかったが、また逃げた。当時の警官も彼の足にはかなわない。村人が彼をかくまったのだろうか、彼の墓がある。私は毎年、お盆に彼のお墓参りをした。当時、全国的に軍に心酔した人は多い。全国で脱走した人は九郎さん一人かもしれない。私は彼が脱走して走っている絵を描いた。
 ある年、梨を拾いに成人の男衆も沢山ゆき、木の下を荒らしたそうだ。所有者が立札を立てた。翌日、所有者のおじいさんがそこへ行ってみると、もう一つの立札が立ってあった。それを読んで、所有者は、にこり笑ったそうだ。何が書かれているかを私の絵に描く。この梨を今年は食べて見ようと思っている。想像であるが「本庄繁長公も食べた梨」と思うと、歴史を感じる梨でもある。
 九郎さんが亡くなり、その後、私の母が生まれた。明治少女の母は学校で軍歌を習った。私は当時の明治少女気質を母から聞いた。薩長が興した大日本帝国が滅亡することは、九郎さんや明治少女達が明治時代に予測していたのである。自給自足できる農民には官製情報に埋没しない人がいる。


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